『うそコンシェルジュ』(津村記久子)
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うそをつくリスク、略してうそリスクは、決して馬鹿にはできないものだ。うそはつきっぱなしにはできない。うそは覚えておかないといけない。うそをついたがゆえに、捨てなければならないものもある。それらを受け入れてうそはつかれなければならないが、さな子はうそリスクは引き受けなかった。本当のことを言ったうえに、それにまつわる愚痴を私に呑み込ませた。(中略)うそすらついてもらえない(取り繕ってすらもらえない)ぐらいバカにされていることと、うそであしらわれる程度の人間であることではどちらがましなのだろう? この先意見が変わるかもしれないが、本当のことを言われてうんざりしたことが近い記憶としてある私は、後者のほうがましな扱いのように思えた。
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『続うそコンシェルジュ――うその需要と供給の苦悩篇』より
他人との付き合いのなかで少しずつ削られてゆく気力や自尊心。どうして自分のことを尊重しない相手に合わせようとして疲弊しなければならないのか。職場で食器をぶち割ることでストレスに対処する『第三の悪癖』、面倒な付き合いを切るための「うそ請負人」として周囲の人に頼られるようになってゆく『うそコンシェルジュ』、仲良しグループに入れてもらうことより「きぜん」と生きたいと願う『居残りの彼女』。小学生から初老まで様々な年齢の登場人物たちが、自らのささやかな尊厳を守るために繰り広げる小さくとも切実な「戦い」を、共感とユーモアをこめてえがく短編集。
収録作
『第三の悪癖』
『誕生日の一日』
『レスピロ』
『うそコンシェルジュ』
『続うそコンシェルジュ――うその需要と供給の苦悩篇』
『通り過ぎる場所に座って』
『我が社の心霊写真』
『食事の文脈』
『買い増しの顛末』
『二千回飲みに行ったあとに』
『居残りの彼女』
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私は、体によいとされるものの中ではトマトが比較的好きだ。使用は二分の一で良いとされているレシピでも、だいたい一缶丸ごと入れる。
その話をすると、麻奈美が目の前で携帯を使って検索を始めて、「トマトって食べ過ぎると結石ができるんだって」と言ったことを思い出した。私はちょっとした立ちくらみのような感覚を覚えて、あわててフライパンから離れて流しの縁につかまる。
なんで自分はトマトが好きぐらいのことも肯定してくれない人に同意を捻り出していたのか。
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『第三の悪癖』より
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佐紀が、みのりちゃん最近うそついたよね、と問い合わせてきたのは、その三週間ほど後になってだった。私は、うそをついたことなんて人に言うもんじゃないな、と思いながら、つきましたが何か? とふてくされ気味に答えると、佐紀は、私もうそをつかないといけないことになったから、ちょっとうその内容が大丈夫かどうかについて、みのりちゃんの意見を聞きたい、つきましては、と私の職場からの帰り道にあるコーヒーショップを指定してきた。佐紀の大学からも自宅からも一時間はかかるような、普段の行動範囲からは外れた場所で、なんだか佐紀の本気を感じた私は、わかった、と承諾した。
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『うそコンシェルジュ』より
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一人でいると、グループの女の子たちよりも関わるのが苦しい、ひどいうそつきだったり、最初はやさしいのにしばらくすると「自分以外のだれともしゃべってはいけない」と言ってくる変な子だったり、学校の外にいる気持ち悪い大人に付け入られやすくなることもわかっていた。
きぜん、という言葉のちゃんとした意味はさなえはしらなかったし、もちろん漢字も書けなかったけれども、いうなればそういう態度の人間に、さなえはなりたかった。それはたとえば、自分に必要だと思ったら下の学年のいのこり授業に一人でやってくるようなことのように、さなえには思えた。
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『居残りの彼女』 より
うそをつくリスク、略してうそリスクは、決して馬鹿にはできないものだ。うそはつきっぱなしにはできない。うそは覚えておかないといけない。うそをついたがゆえに、捨てなければならないものもある。それらを受け入れてうそはつかれなければならないが、さな子はうそリスクは引き受けなかった。本当のことを言ったうえに、それにまつわる愚痴を私に呑み込ませた。(中略)うそすらついてもらえない(取り繕ってすらもらえない)ぐらいバカにされていることと、うそであしらわれる程度の人間であることではどちらがましなのだろう? この先意見が変わるかもしれないが、本当のことを言われてうんざりしたことが近い記憶としてある私は、後者のほうがましな扱いのように思えた。
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『続うそコンシェルジュ――うその需要と供給の苦悩篇』より
他人との付き合いのなかで少しずつ削られてゆく気力や自尊心。どうして自分のことを尊重しない相手に合わせようとして疲弊しなければならないのか。職場で食器をぶち割ることでストレスに対処する『第三の悪癖』、面倒な付き合いを切るための「うそ請負人」として周囲の人に頼られるようになってゆく『うそコンシェルジュ』、仲良しグループに入れてもらうことより「きぜん」と生きたいと願う『居残りの彼女』。小学生から初老まで様々な年齢の登場人物たちが、自らのささやかな尊厳を守るために繰り広げる小さくとも切実な「戦い」を、共感とユーモアをこめてえがく短編集。
収録作
『第三の悪癖』
『誕生日の一日』
『レスピロ』
『うそコンシェルジュ』
『続うそコンシェルジュ――うその需要と供給の苦悩篇』
『通り過ぎる場所に座って』
『我が社の心霊写真』
『食事の文脈』
『買い増しの顛末』
『二千回飲みに行ったあとに』
『居残りの彼女』
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私は、体によいとされるものの中ではトマトが比較的好きだ。使用は二分の一で良いとされているレシピでも、だいたい一缶丸ごと入れる。
その話をすると、麻奈美が目の前で携帯を使って検索を始めて、「トマトって食べ過ぎると結石ができるんだって」と言ったことを思い出した。私はちょっとした立ちくらみのような感覚を覚えて、あわててフライパンから離れて流しの縁につかまる。
なんで自分はトマトが好きぐらいのことも肯定してくれない人に同意を捻り出していたのか。
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『第三の悪癖』より
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佐紀が、みのりちゃん最近うそついたよね、と問い合わせてきたのは、その三週間ほど後になってだった。私は、うそをついたことなんて人に言うもんじゃないな、と思いながら、つきましたが何か? とふてくされ気味に答えると、佐紀は、私もうそをつかないといけないことになったから、ちょっとうその内容が大丈夫かどうかについて、みのりちゃんの意見を聞きたい、つきましては、と私の職場からの帰り道にあるコーヒーショップを指定してきた。佐紀の大学からも自宅からも一時間はかかるような、普段の行動範囲からは外れた場所で、なんだか佐紀の本気を感じた私は、わかった、と承諾した。
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『うそコンシェルジュ』より
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一人でいると、グループの女の子たちよりも関わるのが苦しい、ひどいうそつきだったり、最初はやさしいのにしばらくすると「自分以外のだれともしゃべってはいけない」と言ってくる変な子だったり、学校の外にいる気持ち悪い大人に付け入られやすくなることもわかっていた。
きぜん、という言葉のちゃんとした意味はさなえはしらなかったし、もちろん漢字も書けなかったけれども、いうなればそういう態度の人間に、さなえはなりたかった。それはたとえば、自分に必要だと思ったら下の学年のいのこり授業に一人でやってくるようなことのように、さなえには思えた。
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『居残りの彼女』 より
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